京都新聞(丹後中丹版)にコラムを掲載いただきました
2024/05/15
京都新聞「語彩」コラムを寄稿いたしました
~美しき稲作の国~
5月10日(金)京都新聞(丹後中丹版)朝刊にコラムを寄稿いたしました。
こちらは年4回、宮園ナオミが京都新聞へ定期的に投稿させていただいている「語彩」コラムとなります。
以下、投稿文を載せさせていただきます。
日本という国が世界を見渡して、どこか「特別」な国に思えるのは、私自身が日本人だからそう思いたいのか。やはりどこか「特別」な何かを持ち合わせる国だからなのか。はっきりと分からないが、そう感じるのは私だけではないはずだ。勿論(もちろん)、どこの国も唯一無二で、皆違って当たり前だ。でも、日本には特有の「何か」があるように思えてならない。
私は「米」にまつわる事業をしている。この日本という国の歴史や文化を紐解(ひもと)くと、稲作と切っても切り離せないものがある。この日本は、古事記で「豊葦原水穂国」と記され、日本書記でも「豊葦原千五百秋瑞穂国」と記述がある。「何年先もみずみずしい稲穂が実る国」という、美しい呼び名が残されているのである。私が米にまつわる事業を立ち上げたのも、日本の稲作文化のすばらしさや美しさを感じたからである。
私の住む地域でも毎年、夏まつりや秋祭り、勤労感謝の日の新嘗祭(にいなめさい)などの行事が執り行われる。地元の小さな神社なのでこぢんまりとしているが、稲穂の成長を願い、収穫に感謝し、自然に感謝を捧げることが慣習となっている。ちなみに、神社へ参るという行動は、世界からみると「宗教」のように思われるが、日本の神道には教祖もいなければ、経典もない。「宗教」という言葉では説明しきれない神社参拝も日本特有の「何か」である。
かつての稲作は、村で協力し合って成り立っていた。現代のように重機がない時代、広大な土地でほぼ人力による共同作業に損得感情はない。お互いの助け合う気持ちが寄り合って何百年も続いてきた。その精神文化は、今まで起こってきた震災などの災害でもわかるように、どんなときでも譲り合う心として根強く残り、奪い合うことがない。利他の心を自然と育んできた「何か」がある。
それでも、現代の日本は競争社会が激化し、欧米文化をたくさん取り入れて変革してきた。社会は便利になるも、日々の生活は忙しくなる。ついつい目の前の利益や利便性を優先してしまう。本来ある日本の良き文化や精神性は置き去りがちになり、急激に薄れ失われていくような気がしてならない。荒廃しゆく田園もそうだが、目に見えない日本特有の「何か」を受け継いできた文化や心も、一度失うと取り戻すことが難しくなる。私は「米」をキーワードにいま一度、日本の素晴らしさを多くの人に伝え、美しき日本を取り戻していこうと思うのである。
いつも応援いただき、ありがとうございます。
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KOKU
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